光明寺は大同元年に弘法大師が開かれた名刹です。寺伝によりますと、大師が唐より帰京の後、播磨に遊行され、泊まられた宿の老婆から、行基菩薩が使用されたという鉄鉢を献上されました。 大師はその奇縁を深く憾じられて、西の方を眺められますと、山上に紫の光が空に輝いています。光を尋ねて山を登られると、頂上には嶺が広く、大地を取り巻く形が、開いた蓮の形に似ています。大師はこれこそ密教の霊地に適していると歓喜されて側の霊木で、背丈三尺余の千手観音菩薩を刻まれ、伽藍を建立されたのです。又山内には黒色の霊水を満たした沢があり、其の水口に龍蛇が現れて大師に末代までの護法の誓約をしたと申します。このことから、黒澤山と号し、紫の光から光明寺と名付けられました。 以来、代々の輪首を賜って鎮護国家の霊場として、後醍醐天皇が隠岐の島へ配流の時の宿と成る程に栄えました。しかし戦国末期の尼子の兵乱には、一山ことごとく焼かれ、その後復興はしましたが、幾多の変遷に山上の不便さもあって、文政二年に山麗の地へ移りました。跡には奥の院として広い境内の中に、大師を祭る御堂と楽寿観音が祭られており、当時の面影が忍ばれます。
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