今より約320年以前、天足香禅という禅僧がおり若いころは奈良興福寺、比叡山、永平寺で修行を重ね、やがて諸国を巡歴して荒廃した寺を修復したり、病苦とくに頭痛に悩む人々を救い、衆生済度に生涯をささげ漸く老令を迎えこの和知の里に来り祥雲寺に錫をとどめた。ときに承応三年(1654年)の夏であった。この老禅僧はこの寺を、閑居とし遂に最期の霊地にした。 近郷に病苦の人があると訪れて病苦の人があると訪れて癒してやるうちにその不思議な禅の法力が、いつとはなしに丹波全円に広まり、この寺を尋ねては法力による頭痛平癒に浴するものが多くなっていった。 ときに寛文9年(1669年)8月24日天足禅師は村人を集め”われも漸く最期が近づいていた明日の巳の刻に示寂するであろう。寂後と雖も病苦の者あれば来り告げよ誓って救うべし。又わば屍は自ら植え置きし檜のもとに葬るべし、これを違うべからず”とねんごろに諭して、予言の通り翌25日巳の刻に座禅のまま絶息閉眼した。在寺16年寿76才であった。屍よりは香気芬々としてあたりを包み、村人は天を仰ぎつつ天足禅師は雲に乗りて昇天し星座に連り給うと云った。爾来丹波各地より頭痛の人々はこの寺に参詣しその法力にすがった。
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