当山は、その昔、文武天皇の御代、泰澄大師の開基せられたもので、本尊十一面、千手観世音菩薩は同じく、大師の作と伝えられ、厄除、開運の御利益あらたかな観音さまであります。中古、小野篁の尊信も篤く盛時には僧房三十九院もあり堂々の講築は周囲の偉観と相俟って荘厳を極めたものであったが、応永年間以後は衰頽に向いしも、豊臣秀吉が天下を平定するに及んで再興修繕せられ、慶安元年以来、徳川家光公により寺領五石を賜い境内山林諸税全免の朱印が与えられた。 阿弥陀如来はもと海津町柿ノ木谷の山際にあった天台宗の堂宇坊の本尊であったと伝えられ、聖徳太子の御作といわれて居ります。 小野篁の尊信厚く、度々ここに参篭して、自筆の法華経八巻を奉納したとのことであります。元亀2年、織田信長のために焼かれて、その後里人久助という人家に安置せられたのでありますが、更に移って当山に安置せられたものであります。昭和41年阿弥陀堂復興の際に、血天井の用材天井を用いて天井となし、永遠にその菩提を弔うことにしたのであります。
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