生野は、その昔荒神が住みつき人を殺し、多くの死人が出ていたので死野と呼んでいた。時の天皇、応神天皇は、その忌名に気づき勅使を遣わし生野と呼ばせるようにしてより、しばらく平穏な時代が過ぎた。しかし、やがて当地に難病が続発し多くの人々が若死する事が起こり、村民達苦慮の末一堂に集まり除災を神に祈った。すると「仏法僧を敬い精進潔斎し延命を願わば必ず成就する」のお告げがあり、早速 山林を切り開き延命地蔵尊を祀り、法林山 願成寺と称した。
後、鎌倉時代に至り神仏混合の風潮が起こるや式社僧都が現れると寿命長遠を祈るだけでなく、諸々の祈祷を行い、願い事がかなう寺として庶民を在度し自門を興隆した。以後、「願い成る 音に聞こえし法林山 現当救世の 地蔵まします」の御詠歌のように現世、来世の二世にわたり私達を救ってくれる仏様として親しまれ、世間に広がっていった。その他 ○但馬66地蔵尊、第39番札所 ○ぼけ封じ地蔵尊蔵、○楽寿観音像の安置 ○知恵の文珠堂(但馬唯一)があり、また高台からの眺め絶勝である。
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