福聚山慈眼寺は、元は天台宗の寺院であったが、元亀二年(1571年)信長の兵火に遭い、全山悉く焼失してしまった。その後、宝永元年(1704年)に時の高僧堅央慧練大和尚が荒廃を復興し、自ら開山となって曹洞宗となる。 延享元年(1744年)慈眼寺第九世夢庵徹聡大和尚は当時、済民救国の願いを懐いていた所、白髪の老人のお告げにより自ら讃岐象頭山金毘羅宮(現金刀比羅宮)に参篭して37日間祈願の後、霊験を奉受され、金比羅大権現御尊像を当山に奉祀された。又当山に奉安の十一面観世音は行基菩薩の御作にて、その際記念として植樹された3本の杉は一本周囲6メートルの大木で今尚天空にそびえ世の変遷を眺めている。金毘羅大権現御縁日は毎月10日。及び春秋の大祭、初詣等が主な行事。十一面観世音は毎年8月9日のみ御開扉される。
「山の中でも野田金毘羅は病、厄よけあらた神」昭和13年野口雨情 詠
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