開山は越知山の泰澄国師、泰澄は越の大徳、鎮護国家法師、神融禅師とよばれ、天武天皇十年(682年)越前(福井県)に生まれる。国師諸国遍歴の際、白山、不二山に十一面観音を勧請し其の後、養老元年(717年)国師35才の時、当丹波の「日谷山」に来られ、当山を開基して草庵を結ばれる。時下り延元三年(1339年)高雄山より宥海僧正が来錫され復興された。 往古境内に成就院・持名院・不動院等の十ヶ寺あったが現在は成就院のみです。 元和年間、園部藩小出伊勢守の帰依により所属田畑は免租地となったが、明治九年地租条例改正後有租地となる。九ヶ寺の旧跡は田畑となり、日吉ダム建設に伴い、昭和62年水没地(天若・中地区)の墓碑を利転し、ヒノ谷墓園となっている。 本尊薬師如来は、丈二尺八寸の座像にして弘法大師の御作なりと言い伝う。また、脇に安置する薬師如来及び毘沙門天は平安中期の作。共に日吉町文化財指定。 その他、平成元年、紺紙金泥大曼茶羅を作製奉安す。またダム水没前の景勝を襖八面に画いて保存している。本堂前には「修行大師」「ぼけ封じ観音」「ぽっくり地蔵尊」をまつる。 日本一ヶ所「大日健康禅」の寺(さわやかぜんの寺)で、希望者にはぼけ封じのため修禅してもらっている。
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